【江戸時代】遊女の着物について

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みなさん、こんにちは。
管理人のAya(@nekura929)です。

黒紋付(くろもんつき)と同じくらい大好きな遊女の着物姿、今回は遊女の着物について記事にさせていただきたいと思います。

1.遊女の着物ってどんなもの?

遊女と言えば鮮やかな色彩に豪華絢爛なデザインの着物に、頭には何本ものかんざしを挿し、花魁道中で練り歩くイメージですよね!!

画像出典:江戸吉原 花魁道中  浅草観音うら 一葉桜まつり 4.13,2019より

江戸時代と言えば質素・倹約のイメージがあり、一般女性は江戸小紋など一見地味な着物を身に纏っていたため遊女の着物と言うとかなり浮世離れした装いだったのではないでしょうか。

そんな遊女の着物について、深堀していこうと思います☆

1-1.遊女の着物は花嫁衣裳だった!?

遊女の着物について調べていて1番衝撃だったのは「花嫁衣裳」の意味が込められていたということです!!

当時、客にとって遊女は「一夜妻」という存在だったことから豪華絢爛な花嫁衣裳を身に纏っていたそうです。確かに花嫁衣裳では「打ち掛け」を羽織るところや「ふき」がついているところなんかも共通する部分が見られますね。

先日、黒紋付の記事でもご紹介しました「八朔(はっさく)」を覚えてらっしゃいますでしょうか?

みなさん、こんにちは。管理人のAya(@nekura929)です。 この記事でわかること📝 ✓ 黒...

当時、この八朔の日に遊女は本当に白無垢を着用していたそうです( ゚Д゚)ちなみに八朔は吉原の紋日(もんび)に制定されており、今でいう祝日扱いだったそうです。余談ではありますが、8月1日は徳川家康が江戸城に入城した日だったそうで紋日に制定されたそうですよ。

1-2.遊女の着付けは長襦袢から打ち掛けまで盛りだくさん

高級遊女の着物は長襦袢2枚小袖を3枚の上に「額小袖」と呼ばれる豪華な小袖を重ね、帯を締めた上に更に金襴(きんらん)や緞子(どんす)の高価な仕掛け(打ち掛け)を2~3枚重ねて羽織っていたというから驚きですね!!

現代の十二単で20kgほど重量があると言われておりますので、それくらいかそれ以上の重さがあったのではないかと推察いたします。

ちなみに現在の黒留袖には「比翼仕立て」が用いられておりますが、当時の遊女の着物にも衿や袖、裾は比翼仕立てになっていたそうですよ。黒留袖すら「重い!」と感じる私なので、高級遊女の着物なんて着られるのか想像もつきません(笑)

また、高級遊女が着用する打ち掛けには必ず分厚い「ふき」が作られます。「ふき」が作られた理由として、

 ・引きずって歩く際、足にまとわりつかないようにするため

 ・スタイルをよく見せるため

 ・色っぽく、艶っぽく見せるため

と言われております。確かに「ふき」があるだけで、歩き方も妖艶になりますし美しい佇まいに見えますよね。

1-3.成人式で花魁風に着る際は注意が必要

さて、1-1で説明した通り、遊女には「一夜妻」の意味合いがあるとお話ししました。成人式というハレの舞台で「一夜妻」の意味合いがある花魁風でお振袖を着るのは、かなり違和感を感じるというのが個人的な意見です。

お振袖は未婚女性の第一礼装ですから、それを「一夜妻」の意味合いがある花魁風に着付けをするというのは矛盾を感じます。

趣味や観光で花魁風のお着付け体験をすることは全然アリだと思います。ですが、成人式という一生で一度しかないハレの日にはお振袖用のお着付けを楽しんでいただきたいなぁと思いますね。花魁風の着付けはいつでもできますから。

個人的な意見で大変恐縮ではありますが、これから成人を迎える方には、花魁風に着るということは「一夜妻」という見方をされる可能性があるということを知っていただければ幸いです。

2.遊女の着付けやメイクについて

当時の遊女の着付けは今の着付けとはまったく違うものでした。遊女自身が商品ということもあり、いかに客に見初められるかが重要だったと思います。

自身をよりよく魅せるため、当時の着付けやメイクは以下の通りでした☟

・衿はうなじから背中まで大きく開けて着付ける=抜き襟と呼ぶ。但し、後ろはガッツリ抜いても前の衿はきっちり詰めて着るのが本来の着方。裾はお引きずり、帯は前結び。

・豪華絢爛な帯を客に見せるには後ろで結ぶより、前で結んだ方がインパクトもあり華やかな自分に見えるため。当時の既婚女性は帯を前で結んでいたことから「一夜妻」の意味もある遊女は前結びをしていたという説もある。しかし、庶民の前結びは徐々に廃れていき吉原だけに残った風習だったため、結果的に遊女を印象づける前結びとなった。

・足袋は履かない。冬でも履かないのが遊女のスタイル。素足で白い足を見せるのが粋と言われていた。

・花魁道中の際には高さ15~18cmもある黒塗り畳付きの下駄を履いていた。

・江戸時代、町の女性が結婚すると「お歯黒」をするのが慣習だった。一人前の遊女を示す化粧が「お歯黒」だった。お歯黒が消えると年季明けと見なされていたそう。

・遊女の化粧はおしろいをたっぷり塗り、眉墨を引き、濃い紅を唇にさしたりアイシャドウのように引いたり豪華絢爛な着物に負けない厚化粧を施していた。

・頭には数十本に及ぶかんざしや笄(こうがい)で飾り立てていたため【首から上だけで家一軒】が建つくらいの費用がかかっていた。もちろん、衣装代は遊女負担・・・。

画像出典:Amebaより

3.有名な遊女はファッションリーダー的存在だった

遊女の中でも有名な勝山太夫(かつやまたゆう)という高級遊女をご存知でしょうか?

画像出典:Wikipediaより

花魁道中で独特な歩き方をする「外八文字」を生み出したり、勝山髷(かつやままげ)という一般の女性にも流行った髪型を編み出すなどファッションリーダーとしても大変注目されていました。

また、現在でも使用されている褞袍(どてら)と呼ばれる半てん勝山鼻緒と呼ばれる草履も彼女が考案し流行らせたというのですから驚きです!!

ファッションリーダーのみならず、デザイナーのような才能もあったと思うと当時の高級遊女はとんでもない存在ですね( ゚Д゚)

・・・ということで、大変魅力的な遊女の存在についてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?

現在開催中の「きもの展」でも遊女がつけていたとされるかんざし一式(全て揃っているのは大変貴重らしいです)や豪華絢爛な打ち掛けと丸帯を見ることができます。

特別展「きもの KIMONO」の公式サイトです。2020/6/30〜8/23、東京国立博物館で開催。

遊女の着物に興味を持ってくださった方がいらっしゃれば是非、足を運んでみてください(*´ω`*)

4.参考・引用資料

現代でも女性に人気の花魁の衣装、いくらかかったの?吉原の最高級の遊女・花魁といえば、ほぼ例外なくこのような豪華絢爛な衣装をまとった姿をしています。Wikipedia/花魁彼女たちは浮世絵のモデルになったり、身
遊女が仲の町を「花魁道中」する時、あるいは客に呼ばれて仲の町の引手茶屋に向かうとき豪勢に飾り立てますが、それをいわゆるハレの衣装といい、客がおらず妓楼にいる時はケの衣装を着ていたといいます。ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭り、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表します。
「もぐりの私娼」から吉原のトップ遊女に上りつめた遊女「太夫」「花魁」などと呼ばれた吉原のトップ遊女たちは、幼い頃に貧しい家から売られて「禿(かむろ)」という見習いとなり、振袖新造を経てステップアップするというのが一般的でした。[insert…